つくし野三丁目地区街づくりプラン

記念誌「住みよい街づくりの歩み」から

つくし野三丁目自治会は1971年(昭和46年)6月に結成され、2021年(令和3年)に創立50周年を迎えました。当自治会は創立50年記念誌「住みよい街づくりの歩み」を編纂しています。そこで記念誌から、この街の街づくりの歩みと「地区街づくりプラン」についての著作を転載、ながい活動を振り返ってみたいと思います。

自治会創立50周年にあたって

中条 初子1991年度(平成3年度)自治会長
以降 建築対策審議委員会 委員長/街づくりを考える会 副代表を歴任
現 街づくり委員会 顧問

「自治会創立50周年」おめでとうございます。

私は1968年(昭和43年)10月にこの地に移ってまいりました。その頃、移っていらっしゃった方は他界されたり、転居されたりして、残り少なくなっておりますので、自治会創立当時のことを記録に残そうとしたためたものを、河村自治会長に見ていただきましたところ、記念誌に載せてくださることになりました。

この50年間、私は自治会の設立、建築対策審議委員会、地区街づくりプランなど、"つくし野三丁目の街づくり" に携わらせていただき、人生の大半を「つくし野三丁目」に住むことが出来たことを幸せに思います。「住みよい街」とは、街の佇まいだけでなく、そこに住んでいる人が互いに助け合い、和やかに生活ができるような街です。「つくし野三丁目」は、すでに「住みよい街」になっています。この街のますますの繁栄を祈ります。

Ⅰ.「つくし野三丁目自治会」結成について

つくし野は、地域の地権者が小川第一土地区画整理組合を結成、組合から委託を受けた東急不動産が理想的な住環境を掲げて開発しました。小川第一土地区画整理事業(1965年~1968年)は、町田市で初めての民間施工による区画整理事業。あとに続く開発のモデルとしても注目を集めた街でした。

1966年(昭和41年)には第一期分譲が始まり、徐々に住民が移り住みました。当時の住居表示は「小川」で、1968年11月に「つくし野1, 2, 3, 4丁目」となりました。

その頃の自治組織としては「小川町内会」がありました。住民がほとんどいなかったつくし野1丁目と2丁目の一部の住民は町内会に所属していませんでしたが、集落があって以前から住んでいる住民の多かった2丁目、くわえて3丁目、4丁目に新しく移り住んだ住民(以後 新住民と記載)は町内会に所属していました。

1970年(昭和45年)頃になると街もかなり整いましたが、それに伴い色々なことが起こってきました。例えば

  • 域内道路のバイパス化(通過交通の増加)
  • シュワ―プラント問題(集中浄化槽、当初は下水道が未整備でした)
  • 用途地域指定の問題
  • 自治会の必要性

などです。

1, 2丁目の新住民が中心となって、つくし野全域で「つくし野自治会」を結成し、問題解決をしようと準備をはじめました。1970年9月「つくし野自治会結成準備総会」を開催したのですが、町内会からの反対もあって意見が纏まらず頓挫。そこで1, 2丁目の新住民だけで、翌1971年(昭和46年)1月15日「つくし野1・2丁目自治会」が結成されました。

当時、3丁目の新住民は町内会に属していましたが、町内会の当番にあたっていた新住民の何人かは、このままでは問題解決ができないと考え、3丁目も自治会を結成すべきだと相談していました。そうしたおり、4月になって3丁目5番地にアパートが建つとの情報がもたらされ、市に問い合わせると農協住宅(高層共同住宅)の計画があることがわかりました。こうした計画はつくし野の街にはそぐわないと反対することになったのです。まずはこれに対処する組織、自治会の結成をとなり、賛同する若い住民をくわえて自治会結成のための準備を始めました。

多数の新住民の賛同を得て1971年(昭和46年)6月27日、町内会から分離して「つくし野三丁目自治会」を結成することが出来ました。(新住民の大部分は町内会から自治会に移行しましたが、まだ一部の方々は町内会に残っていました)

農協住宅反対運動は、住民の署名を持って東京都庁や町田市役所に陳情し、農協とも何度かの協議のすえ、同年9月19日、1・2丁目自治会、3丁目自治会と南農業協同組合が協定を結んで円満解決に至りました。

その後、小川町内会は小川、つくし野、南つくし野の三つに分割され、つくし野は「つくし野自治会」となったのですが、翌1972年(昭和47年)3月、これを更に2丁目、3丁目、4丁目に分割。これを機に、3丁目で町内会に残っていた住民(もとからの住民も新住民も)は、前年すでに結成されていた「つくし野三丁目自治会」に合流することになりました。この一つにまとまったことが、その後の街づくりに良い結果をもたらしています。

1990~1992年(平成2~4年)に起きた大観心道別院問題も住民の団結力で阻止することができ、2019年(令和元年)の「つくし野三丁目地区街づくりプラン」策定もまた、3丁目住民の支持と協力で実現したのです。

追記:農協住宅問題は、一方で地主の方々の街づくりの夢を奪うような結果になってしまいました。そのことは今でも心が痛みます。街づくりの負の側面です。街づくりの難しさを改めて感じています。

Ⅱ.「建築協約」と「建築対策審議委員会」について

「建築協約」は今では日本中で運用されていますが、立案者はつくし野1丁目の鈴木勘也さんです。1・2丁目自治会は、当初「建築協定」を考えておりましたが、法的拘束力を持つ「建築協定」は地権者全員の同意が必要なことから断念。しかし、街を守るためには何らかの規制が不可欠として検討のすえ、考えだされたのが住民間の紳士協定である「建築協約」でした。

地権者8割の同意と市の協力を得て、1976年(昭和51年)に「1・2丁目自治会建築協約」が制定されました。ついで4丁目自治会が、また翌年12月には3丁目自治会がそれぞれ建築協約を制定しています。

建築協約の運用は自治会の建築対策部で行われてきました。1990年(平成2年)頃までは大きな問題もなく建築協約が順守されていましたが、法改正もあって行政指導による市の支援が徐々に得られにくくなってきたのです。そうしたおり、3丁目に新興宗教の別院の建築協約違反問題(1990~92年)が起きました。これも住民あげての協力でなんとか阻止できました。ですが、長期にわたる問題に一年任期の建築対策部だけでは対処しきれないと考えて、1992年(平成4年)自治会に「建築対策審議委員会」を設置しています。

建築審議委員会は、自治会長や建築対策部長の経験者で組織され、メンバーが毎年替わる建築対策部の支援、長期の懸案事項、難しい建築案件に対処し、協約改正、用途地域指定などにもあたってまいりました。

1999年(平成11年)の建築基準法の改正に伴って、専ら行政が担ってきた建築確認が民間にも開放されました。行政改革の一環です。市が関与することなく建築確認が行われ、それが主流になるにつれて、建築協約の運用に逆風がさらに強くなったのでした。

突然の着工、敷地面積や後退距離の不足などで、審議委員会が業者と折衝することが増え、ほとんどはご理解をいただいて解決できたものの、拘束力のない協約に限界を感じることもございました。

そこで、2004年(平成16年)4月に施行された「町田市住みよい街づくり条例」の活用を念頭に、検討と準備にあたる「住環境を考える会」を発足させ、翌年4月には名称も改めて「街づくりを考える会」を自治会の特別委員会として設置しました。

「つくし野三丁目自治会 街づくりを考える会」は、住民が話しあって「3丁目の街づくりプラン」を取りまとめる「街づくり団体」として、2005年(平成17年)8月、住みよい街づくり条例に定める登録を完了、本格的な活動を始めています。

会のメンバーは3丁目の住民に広く呼びかけ、月に1回、定例の会合を持ちました。発足時の会員は高橋文穂代表のもと、歴代の自治会長など総員20名。開発以前からの方々にもご参加いただき、この街の将来を一緒に考えるメンバー構成となりました。立場や思いの違う新旧の住民がともに意見をかわし、ときに激論も生じましたが、互いに理解を深めあう機会を重ねた15年となりました。

この成果として、2019年(令和元年)10月「つくし野三丁目地区街づくりプラン」が発効し「条例による街づくり」が始まりました。これに伴って41年におよぶ役割を終えた「建築協約」は廃止されています。

「街づくりを考える会」、建築対策部と建築対策審議委員会も、翌年4月の自治会総会で任務完了を報告、解散が承認されました。

街づくりの業務と精神は、新たに設置された「街づくり委員会」にしっかりと引き継がれています。この街を愛する皆さまのご理解とご支援をお願い申しあげます。

「つくし野三丁目地区街づくりプラン」

尾花 久自治会 建築対策審議委員会
街づくりを考える会を経て 現 街づくり委員会 委員長

■ 住みよい街づくり条例の登場思いと期待あつめて

「地区街づくり」は、身近な生活圏(地区)を舞台に、地区の住民が主役となって、自分たちの街を考え、住民の合意を前提とした独自の計画やルールをつくり、より良い街づくりを実現していこうとする取り組みです。

つくし野の「建築協約」もそれにあたるのでしょうが、いささか「先取り」が過ぎたのかもしれません。「協約」から20年近く遅れて、1995年頃からは「住民主体の街づくり」をめざす自治体が「条例による法制化」を進め始めました。「まちづくり条例」や「地区街づくり計画」が徐々にみられるようになり、町田市でも具体化にむけた検討が行われます。

「町田市住みよい街づくり条例」は、地区の特性を活かした個性ある街づくりの実現を目的として、2004年4月に施行されました。

条例は「地区街づくりの推進」と「街づくり活動の支援」を軸に「街づくり計画:プラン」をつくる活動、住民と行政の「協働による街づくり」の内容と手続を定めています。

流れはざっとこんなぐあいです。

  1. 地区住民等で構成する「地区街づくり団体」の設置・登録
  2. 地区街づくり団体は計画やルールの取りまとめや
  3. 住民への情報提供と合意形成にあたる
  4. 地区内の住民や地権者等多数の合意(所定数)を得たうえで
  5. 「プラン案」として市に提案する
  6. 市は提案を踏まえて「地区街づくりプラン」を策定
  7. 街づくり審議会、住民説明会、縦覧等の手続を経て告示
  8. 発効した「プラン」の運用は、行政と住民が協働してあたる

市が策定する「地区街づくりプラン」の決定・告示と「街づくり推進地区」の指定手続が済むと「条例による街づくり」がいよいよ発効。以降、地区内での建築行為等は「プランに整合させなければならない」とされて、法的な規制のもとにおかれます。

また、この実効を期するため、事業者(工事発注者)には、行政あて「着手30日前までの届出と協議」、「計画地での標識設置」による近隣への周知が義務化され、くわえて行政による「プランに基づく誘導」、必要に応じて「助言または指導」が行われることになります。

私たちが着目したのは「地区街づくりプラン」の法的な拘束力、それを後ろ盾とした運用が可能となる点です。さらに届出・協議、指導・勧告による実現担保。紳士協定である「建築協約」の限界を痛感していた自治会、建築対策審議委員会にとって、この条例への期待はとても大きなものでした。

さっそく「住環境を考える会」が組織され、「条例による街づくり」を念頭においた準備を進め、翌2005年4月、名称を改めた「つくし野三丁目自治会街づくりを考える会」が正式に発足、条例による「街づくり団体」として登録、活動を本格的に開始しました。

地区の全戸に向けた「街づくりを考えるハンドブック」の配布、活動を報告する「街づくり通信」や「街づくりニュース」での広報、アンケート調査などを行いながら、街づくりの勉強や議論に取り組みました。

■ 住民参加の街づくり意向と課題をつかむアンケート

アンケート調査は、皆さんの声をとらえて「街づくりプラン」の検討に活かすばかりでなく、住民の関心を高め、調査の反復による意向の収束、さらに合意形成をはかるうえにも有効な手だてとなります。私たちは「住民参加の街づくり」のキーとなる大切な工程と考え、自治委員の協力をいただきながら、調査の実施と結果の広報に多く意を払いました。

2006年7月の第1回アンケート(3丁目全戸配布458 回収314 有効回収率 68.6%)では、この街に対する認識や建築協約について聞きましたが、皆さんの街への愛着や環境意識の高さ、街づくり活動への理解などを改めて確認でき、おおいに力づけられました。

永住意向も高く、住み続けたいとする方が74%。また、多くの方々がつくし野の住環境(閑静な環境72%・広い敷地37%)を重視して、この街を選択されていました。一方で「商店や飲食店が少なく不便25%」、「防犯・防災面に不安19%」の声も。将来どんな街になったらよいかを聞いてみると、複数回答だったためか「閑静な街20%」「利便性のある街20%」と拮抗。年齢別に集計しても顕著な差はみられず、これは次回の宿題に。

建築協約については、99%の方が協約の存在を知っておられ、協約によって街の環境が守られてきたとする方も83%。敷地面積や建物の高さなど規制内容も90%近くの方がよくご存じでした。

翌2007年2月に第2回アンケート調査(全戸配布492 回収382 有効回収率77.6%)を実施。今回は一歩踏みこんで、この街の「将来像」や「建築協約」など街づくりに関わる事がらを聞きました。
今回は二世帯住宅に同居する若い世代にも配布しました

将来像について、前回は複数回答で拮抗した「閑静な街」と「利便性のある街」の確認を択一回答で行いました。その結果、どちらかといえば を含めると「落ちついた閑静な街」が71%、「便利で活気のある街」は28%となりました。

また、前回は「商店や飲食店が少なく不便25%」でしたが、今回は観点をかえて、商店・コンビニ、飲食店の「立地の要否」を択一回答で確認。すると、3丁目のなかには「必要ではない50%」「必要である42%」と差はわずか。ただ「必要である」とした方に重ねて「何処にあるといいか」を聞いてみると、「柳通りや福寿院通りの沿道」とする方が8割、「なるべく自宅の近く」は1割に留りました。結果として、商業施設については「駅周辺」や「主要道路の沿道」での集積充実を望むとの意向が大勢をしめています。

建築協約については、廃止または見直したほうがよいと思う条項を、複数回答で聞いてみました。いずれの条項も現状のまま「見直す必要はない」が29%で最多。一方で改廃を求める声もあって、多い順に「原則は一戸建住宅(二世帯住宅含む)22%」「敷地面積165m²以上20%」「建物は2階まで19%」「屋上と外階段の禁止19%」。さらに「協約で制限をくわえるべきではない」とする回答も9%ありました。

考える会では、これまでの調査結果を踏まえ「落ち着いた閑静な街の維持」を基本に「協約の見直しも検討すべき」との認識で一致。さらに調査・検討を深めることにしました。

2008年9月に第3回アンケート調査(全戸配布 461 回収387 有効回収率83.9%)を実施。前回までの「総論」から、今回は「各論」に踏みこんで、建築協約の各条項をどう考えるか、具体的にどうしたいかを聞きました。

関心の高まりを反映し、また自治委員の尽力もあって、回収率は目標とした8割を確保。今回の結果は、この先に続く「街づくりプラン案」の具体化に活用され、熱い討議の対象や何年にもわたる検討のテーマに繋がっていきます。

ところで「街づくりプラン案」を市に提案するために必要な合意率は⅔以上と条例の施行規則で定められています。私権の制限が伴う「プラン」は、地区の住民や地権者の合意が当然に前提となりますが、線引きは⅔以上、67%超とかなり高いハードル。その意味で今回の調査は、合否の「めやす」を探るものともなりました。クリアできない条項を「プラン」に取り込むのは難しい。(お受験の子をかかえる親のような感じ?でした)

で、どうだったか。まず「ゆとりある街並み」を実現する「敷地面積」。協約の165m²以上は70%でギリギリ。ついで「壁面の位置」。協約で定める外壁面から境界までの後退距離1m以上は79%。街並みの「ゆとり」はおもに敷地面積と壁面の位置から生まれますが、この2項はいずれも線引きをクリア。協約の運用で筆頭の難物「壁面の位置」は意外なほど高い支持率で「建てこんだミニ開発」に対する謝絶表明とも受け取れました。

低層の建物による家並みの維持や日照を確保するため「建物と軒の高さ」を協約ではそれぞれ9m以下と6.5m以下としています。これは66%でかなり際どい。また「建物の階数」を協約は2階までとしていますが、こちらは60%とアウト。階数はもっと自由にと考える方々が4割にもおよびました。

さらに「建物用途」の制限。協約は二世帯住宅や医院兼用住宅、柳通り沿道での店舗兼用住宅を例外としていますが「原則は一戸建て専用住宅」です。結果は、現状どおり「原則を維持56%」。他方、地域を限っての条件付きを含めると「一戸建て専用住宅以外も認める44%」。どちらも67%の線引きをかなり下まわる「難しい問題」となりました。

「一戸建て専用住宅以外も認める44%」の方々のうち、「低層の集合住宅」は認めない34%、地域を限れば「低層の集合住宅」を認める66%。つまり、全体の3割(0.44×0.66)の方々は条件付きながら「低層の集合住宅」の立地を容認すると回答しています。

同様に「店舗」についても、44%の方々のうち91%が条件付きで容認していますが、最多となった「店舗の種類を特定し地域を限れば認めてもよい」とする回答は45%、全体の2割となりました。前回調査と大差はないとみることができそうです。

もっとも、3丁目は概ね全域が「第一種低層住居専用地域」に指定されているため、店舗部分が50m²以下の小規模な「店舗兼用住宅」以外、実際には建築できません。いまや生活のインフラとなっている「コンビニ」でさえ、3丁目での立地には多くの制約があることを、その後の実例でも経験しました。高齢化が進むなか、これも考慮すべき課題だと思います。

■ 三丁目街づくり憲章「プラン」の目標・方針にとりこむ

ところで、「地区街づくりプラン」は、プランを構成する事項として、条例でつぎの4項を定めています。

  • ① 地区街づくりプランの名称、位置および区域
  • ② 地区街づくりの目標
  • ③ 地区街づくりの方針
  • ④地区街づくり計画

考える会の発足から5年を機に、この間の活動成果として、プランの前編にあたる①から③を取りまとめ、これを「つくし野三丁目地区街づくりプラン(憲章/目標・方針)案」として、市に提案することにしました。

②の目標には、1971年4月に制定された「つくし野憲章」をベースに、新たに書き起こした「つくし野三丁目街づくり憲章」の「前文」と「街づくりの目標」をおきました。

【前文】

つくし野三丁目は、セントラルパークなどの緑豊かな美しい自然環境に恵まれた閑静な住宅街です。
私たちは、この街に関心を持ち愛するとともに、
住む人も訪れる人も心地よく感じられる「美しい街」、
安全・安心で暮らしやすい「快適な街」、
住民が協調・協力し、支えあう「ふれあいの街」、
をめざして、力をあわせましょう。

これに続く③の「地区街づくりの方針」では、憲章の「街づくりの目標」のめざす方向やアプローチなど、実現に向けた基本方針を定めています。

この「つくし野三丁目地区街づくりプラン(憲章/目標・方針)案」を、3丁目内の全戸と3丁目以外に住所のある地権者に配布して公表、説明会の開催などを経て、地区住民等による合意投票を行いました。

私権の制限を伴わない「憲章/目標・方針」に必要な合意率は過半数。幸いに65.5%の同意を得て、2010年10月に「つくし野三丁目地区街づくりプラン(憲章/目標・方針)案」を市に提案しました。
地区内の住民, 地区外を住所とする地権者等581のうち同意者381

2011年3月には「つくし野三丁目地区街づくりプラン(憲章/目標・方針)」として市による策定、さらに手続を経て告示されました。この「ひと区切り」まで、考える会の活動開始から6年を要しました。

条例による「プラン」となった「つくし野三丁目街づくり憲章」。セントラルパークの東側入口に設置した看板に、その「前文」を掲げました。折よく自治会創立40周年の記念事業となり、その後、50周年記念事業とした「地区街づくりプラン」の看板新設にあわせて、この「街づくり憲章」の看板もデザインを更新しています。

■「プラン」計画案協約を守る 見直す 見きわめる

考える会は、その後も具体的なルールについて討議を重ね、建築協約を基本に「守るべきもの、見直すべきもの」を見きわめ、必要な修正もくわえて「地区街づくりプラン」の本編ともいうべき「計画」の取りまとめにあたりました。また、その一環として住民の皆さんに参加いただいて「街歩き」や懇談会を開催、広く意見交換を行う機会としています。

アンケート結果や懇談会での意見をふまえ、協約の各項について検討を進めましたが、このなかで、もっとも「難しい問題」と当初から考えていたのが「建物用途」の制限、「原則は一戸建て専用住宅」でした。

協約では、一戸建て専用住宅が原則、例外として二世帯住宅、医院併用住宅、柳通りに面する店舗併用住宅だけを「可」としています。この「建物用途」の制限については、特に「集合住宅」の可否がながく議論の対象になってきました。

三丁目には生産緑地、市街化農地など広い土地が存在しています。おかげで緑豊かな空間に恵まれてきたのですが、一方で土地を所有する方々が相続や営農の担い手など待ったなしの問題に苦慮されてきたのも事実。かねてから協約には負の効果しかないという訴えを少なからず聞いてきました。条例による「プラン」が実現すれば、より足かせになるという懸念をもたれても当然です。開発以前から三丁目に住んでいる方々、土地を所有される方々(以後 旧住民と表記します)と、どのように折あえるか、これは「プラン」の成否にも関わる大きく重い課題でした。

こうした背景もあり、前回のアンケートから6年近く経過したことも考慮、この5年以内に新たに自治会に加入した「新会員」と「旧住民」の皆さんをおもな対象として、これに自治委員ほか若干の自治会員をくわえた「サンプリングアンケート」を実施しました。設問は第3回とそろえ、比較を容易にしています。また、これとは別に「旧住民」の方々には「追加アンケート」(回収14)を行い、忌憚のない回答もいただきました。

実施 2014年3月
・新会員 配布46 回収32 回収率69.6%
・旧住民 配布24 回収17 回収率70.8%
・抽出自治会員 配布36 回収27 回収率75.0%
有効サンプル合計76

サンプリング調査から、新会員は「原則は一戸建て専用住宅」とする「建物用途」を除くすべての設問で協約の現行ルールを「可」とする回答が、第3回の調査結果と同率といえる範囲にあることがわかりました。
新会員は「建物用途」について、協約の「原則を維持33%;」「以外も容認67%」と回答。第3回の調査結果「原則を維持56%」「以外も容認44%」とは逆転して、7割近くが制限の緩和を希望

他方、旧住民の回答は「建物用途」をはじめ、すべての設問で協約による制限を避ける傾向を鮮明にみせています。別途、実施した「追加アンケート」では、8割の方々が所有する土地を活用する際に、協約による制約を受けたと回答。こうした経験が協約や制限に対する厳しい姿勢に影響していることは否めないと感じました。

ところで「一戸建て専用住宅」以外に要望する用途について、旧住民の方々は複数回答で「低層のアパート・マンション」を突出した1位にあげています。「追加アンケート」でも協約の見直すべき条項として、1位に「一戸建て専用住宅」、ついで「建物の階数」「建物の高さ」をあげ、集合住宅による土地活用をうかがわせる回答をよせています。

第3回の調査では「低層の集合住宅」について、条件つきながら認めてもよいとする回答が全体の29%、3割にもおよびました。このこともあわせ、幅広い見地から熟慮を重ねた結果、「低層の集合住宅」の容認を検討すべきとの判断に至りました。

「三丁目方式の低層集合住宅」。若い子育て世代にも「住みやすい街」をめざす、考える会からの新しい提案です。

集合住宅は1棟あたり4住戸までの規模に抑え、ワンルームマンションの立地を避けて各住戸の面積はバルコニーを除いて50m²以上、敷地面積は500m²以上として、内外ともに「ゆとりある空間」を確保。一般の建物と同じく、高さは9m以下、軒高は6.5m以下とし、屋上と外階段の設置は不可。景観上の観点から、街並みと調和した外観に配慮するとのルールを設けました。この街にふさわしい「良質な住まい」を期待できるものとしています。

また「建物用途」の緩和については、学習塾、華道教室、アトリエ等の用途を兼ねる兼用住宅を新たに容認したほか、柳通りに面する兼用住宅に飲食店と事務所を認めました。さらに派出所等の公益施設、市長が公益上必要な建築物で用途上やむを得ないと認めたものを追加しています。
第一種低層住居専用地域に本来は建築できませんが、市長が良好な住環境を害する恐れがないと認め、公益上やむを得ないと認め許可したもの:コンビニ等の店舗立地の可能性を念頭においた条項を追加

敷地面積165m²以上、壁面の位置は境界線までの距離1m以上、建物等の高さ9m以下、軒高6.5m以下 の各項は現行を堅持。一方で、2階までの階数規制は、高さの制限があれば足りるとして削除しました。協約に定めた区画変更の禁止も、敷地面積の規定があれば不要となることから削除、かわって土地の分割に関わる解説を「別冊」にくわえました。

プランに踏襲する条項は、いずれも住民が自ら「育み守ってきた住環境」を維持し、さらに向上させるうえに不可欠なもの。また、多くの方々が支持し、40年を超えてながく順守してきたものでもあります。

以上「建物用途」「敷地面積」「壁面の位置」「建物の高さ」についてのルールは、集合住宅に定めた「住戸面積」とあわせ、行政あての届出と事前協議が必要となるため「届出ルール」とよんでいます。行政が主体となって運用するルールで、建築基準法等に明確な基準や規定のあるもの。建築確認等にあたる行政にとって、スタッフを充てやすいこともあるのか、運用実務の多くを分担、私たちは大いに助けられることになりました。

他方、自治会が自主的に運用するルールで、数的基準等による規制にはなじみにくいものについて、近隣の住環境や景観上の配慮から定めたものがあります。これを「自主ルール」とよんでいます。建築物の形態や意匠・色彩、垣や柵の構造、擁壁の増積み・盛土、付帯施設の位置など、従来から協約に定められていたもの。これらを見直して、条項の意図・目的などを整理、併記したうえで具体的ルールを取りまとめました。

プランの本編にあたる「建築物等のルール」を定める「計画」は、この「届出ルール」と「自主ルール」で構成されています。「憲章/目標・方針」のもと「良好な住環境の維持と向上」を実現するうえに欠かせない全9項目。規定の内容・細目を点検し、適切な成文化に努め、2018年5月「地区街づくりプラン(計画)案」として決定しました。

これに続いてニュースや冊子を発行、9月から翌月にかけて説明会を開催してプラン案の周知にあたり、並行して「合意投票」の準備に取り組みました。

■ 地区街づくりプランいよいよ発動 運用開始

考える会は11月から翌月にかけて「合意投票」を実施、自治会は署名・封印された投票用紙の回収に総力をあげました。郵送も含め回収は486、投票権利者649、投票率74.9%。開票や集計は市に委嘱して結果を待ちました。

合意投票は、つくし野三丁目に住んでいる者と業を営む者、また土地所有権等を登記している者を投票権者として、票ベース(合意した者の票数/投票権者票数)面積ベース(合意した者の所有する土地面積+借地権面積/三丁目の公有地を除く土地総面積+借地権総面積)の合意率がいずれも⅔以上となる場合に、合意が成立すると定められています。棄権があればそのぶん不同意として効き、広い土地の地権者の票が重くなる面積ベースがあるのも合意投票の特徴。一般の選挙とはかなり勝手が違います。

結果は、三丁目全体でルールの全項目が「票ベース」「面積ベース」いずれも⅔以上:67%超の合意率をクリア、みごとな「合意成立」をみることができました。

「建築物等のルール」が適用される「街づくり推進地区」の指定区域 A地区(三丁目の98%を占めるほぼ全域)に限れば、ルール全項目の単純平均で票ベース79.3%、面積ベース77.7%と予想をうわまわる合意率。三丁目全体では投票率の格差を映して低めとなりましたが、面積ベースで平均75.6%の合意率を示し、懸念のあった「建物用途」についても、他の項目に並ぶ合意率となりました。結果はOK、考える会の全員がホッとした瞬間でした。
画像「街づくりニュース」をご覧ください。

街づくりニュース

合意成立をうけて2019年3月、考える会は「地区街づくりプラン(計画)案」を町田市に提案。市はこれを踏まえ「プラン原案」を取りまとめ、街づくり審議会、住民説明会、縦覧等の手続を経て、同年10月「つくし野三丁目地区街づくりプラン(計画)」を策定・告示。ついで「街づくり推進地区」の指定を行いました。

こうして「住みよい街づくり条例」のもと、市と自治会が協働して運用する「地区街づくりプラン」が発効し動き始めました。これを期に、41年にわたってこの街の住環境を支えてきた「つくし野三丁目建築協約」は廃止され、その役割を「地区街づくりプラン」が代わって担うことになります。

「プラン」の運用は、来年度4月に予定する新組織「街づくり委員会」の発足までの間、考える会を中心とした暫定体制で臨みました。年度末まで5か月の受付案件は実に12件。前例にない集中にくわえ、運営の立ち上げや新組織の設置準備なども重なりましたが、市との「協働」に助けられ、乗り切ることができました。

2020年4月、自治会総会で街づくりを考える会、建築対策部、建築対策審議委員会の改組・廃止と、「プラン」の運用にあたる特別委員会「街づくり委員会」の設置が決議され、この委員会を新たな「街づくり団体」として町田市に届出、正式に発足しました。

ここに至るまで、考える会の活動開始から満15年。定例会だけでも170回。振り返れば、山坂の続く本当にながい道のりでした。

『私たちの街は私たちが創り守っていく』
こうした先達たちの強い思いと「建築協約」の精神を「地区街づくりプラン」とその運営にもしっかりと引き継ぎ、活かしていきたいと考えています。

そして、街づくり委員会の発足から満1年。2021年4月、委員会はセントラルパークの危機を知ることになります。街づくりの立場から、この公園は決して失いたくありません。緊急会合を招集、委員会をあげて「セントラルパークを学校候補地」とすることに強く反対し、活動開始を決定しました。

結果として「地区街づくりプラン」が公園存続にも大きな役割を果たし、この街と公園を守る有効な「武器」ともなり得たことを喜んでいます。

ですが、この「プラン」と「公園の存続」を実現したのは、この街を愛する皆さんの思いと行動です。本当に大きな成果でした。ありがとうございました。

「プラン」がいまあるのは、街づくりを考える会 初代代表 高橋文穂さん、副代表 中条初子さん、副代表 中村一幸さん、市による派遣アドバイザとしてご指導いただいた鵜沢賢一さんをはじめ、考える会の皆さまの粘り強いご尽力によるものです。また、所管いただいた町田市 地区街づくり課の永きにわたるご支援、地域の多くの皆さまのご協力にも、改めて深謝申しあげます。

この小文は、中条初子さんによる「自治会創立50周年にあたって」のⅡ章の続編として書いたもの です。自治会 建築対策審議委員会の中条委員長のもと、建築協約の運用実務にあたっていた私は、審議委員会の一員として「街づくりを考える会」のメンバに加わりました。

どうして「プラン」が必要だったのか、なにを頼りに「協約」を見直したのか、このあたりを充分でないにせよ、自分なりに記しておきたいと考えました。おそらく中条さんと同じ「思い」に導かれたのでしょう。